夢を叶える人っていったいどんな人?
夢を叶えることとはいったいどんなことなのだろう?
最近、こんな漠然とした疑問を抱くようになったできごとがたくさんあった。
私の夢は、もう何十年も語り続けている
「愛犬たちと世界中のどこにだって共に旅ができる次代を創る」こと。
この夢を持つきっかけとなったのは、ずっと家族として暮らしてきた愛犬たちとの別れで知った、悔しさと寂しさ、そして自分への不甲斐なさからだった。
もし我が家の仔に生まれてこなかったら、この仔はもっと長生きでき、幸せになれたのかもしれない。
この子たちは飼い主を選んで生まれてはこれません。
数々の猛烈な寂しさと、自分への怒りが、人生観をも変え、人間が本来持つ「欲」をも変えてしまった。
どんなに素敵な旅館に泊まっても、どんなに高級なレストランで食事をしても、どんなに素晴らしい海外へ旅に出たとしても、そこにこの仔がいないのであれば、私にとってはちっぽけなものになってしまう、歴代の愛犬たちとの別れを重ね、私にとっての「一番大切なもの」を知ることができたからこそ、今の生き方ができるのだと思っている。
笑われるかもしれないが、今、私がもっとも大切にしている時間は、愛犬と一緒に過ごす朝夕の散歩と、夜、食事を終えた後に縫いぐるみで遊ぶ30分の時間だ。
この時間は、南の島へ旅行に行くことよりも、銀座の有名なレストランで食事をすることよりも、ブランド物を部屋中に溢れるくらい買うことよりも、そのすべてをたしたとしても、くらべものにならないくらい幸せな時間であり、自らの命を削られたとしても、永遠に続いてほしいと願うオンリーワンの時間なのだ。
あなたに聞こう
1億円の高級車がもらえることと、愛犬が一日でも長くそばにいてくれること、あなたならどちらを選びますか?
夢を追いかけるということは「〇〇をしたんだから○○をしてほしい」などといった見返りを求めるものではなく、自らの人生の全てをかけ、時に自らの命を削ろうとも、揺るぎのない断固たる決意と、たどり着きたい願う溢れる情熱を持ったものだけが、たどり着ける聖域なのではないだろうか?
今日、私が打ち合わせをしてきた大手企業で提案をしたこと
「かんたを一人の人間として認めてくれるのであれば、私は親としてどんな責任も取るし、お手伝いであれば無償でやりましょう」
しかも最高の笑顔でね。
この写真に写る笑顔に、欲や見返りが見えますか?